Do you have KEEP a cat?

白い二片の布が目の端でチラチラ揺れている。目的は知らん。ただ風に煽られて揺れている。何の抵抗もないような気紛れさで。


 時期的に言えば暑さ残る秋だ。暦の上では秋だとしても実際気温は下がることを知らずいたずらに汗を噴き出させていた。だのに目の前の布は汗さえ吸うことなく涼しい面して揺れてやがる。俺の心境なんぞ素知らぬ顔だ。びゅうっとやや強い風が部室の窓から吹き込んだ。存外湿度の低い風は二片の布と一緒にすぐ上の薄茶をも吹き飛ばす。音もなく大きく揺れた薄茶はどうやら布とは違って汗を吸っていたらしく、ペタリと持ち主の頬に張り付いた。
それを白い指が、事も無げにそれを絡めて元の場所に戻す。俺の眉間に若干皺が寄る。一度ディスプレイに視線を戻してそのまま横にスライドさせてやれば、二片の布の麓の位置―第三ボタンで止められたブラウスの二股に分かれたところから胸が。胸が覗いていやがった。
糞!不覚にも、タイプミス。
俺も一応は人間だったんだなと、思わざるを得ない瞬間だった。それにしても、この女は自分が風紀を乱しているっつーことに果たして気付いているのか。
「んー…」
ぽきぽきと背骨を軋ませて女が大きく伸びをする。相変わらず胸がはだけたままなのは女の鈍さの表れだ。
「はい、ヒル魔君、ノート」
「おー」
 まとめ終わったらしいノートをうっすら涙が滲んだ眼のまま突き出す。それを一瞥をくれてやっただけで手だけで受け取って構わず作業を続けた。
直視など、出来よう筈もなく。
割り当てられた作業が終わったらしい女は、帰り支度でもするのかブラウスのボタンを音もなく留めて、手元に置いたリボンを指先で器用にも引っ掛けるとそのまま首元の元あるべき位置にかけだした。本当ならそれが風紀委員として然るべき姿なんじゃなかろうか。

 一応この数ヶ月で「恋仲」と呼ばれるものになってはいる筈なのだが、フレンチキスより先には進まない。正確には、進ませない。舌を入れようとすれば堅く唇を閉ざし、胸でも触ろうモンなら全力で拒否する。まさしく読んで字の通り全身全霊でだ。…雰囲気っつーもんをまるで理解しないのはコイツの鈍感さ故なのか。それにしてもビビるにしたって限度っつーもんがあんだろが。
 さすがに外に出るのにはだけたままなのは嫌だったのだろう糞女は、制服を優等生然とした着こなしに整えて席を立った。愛用の糞クマがプリントされたピンクのエプロンの裾を軽く叩いてマグを2つ、シンクへと持っていく。俺が糞女待ちだと言うのは何も言わずともわかっていたのだろう。こうなれば後はパソコンを閉じて鞄に押し込みゃいい。それで帰り支度は終わりだ。万々歳だ。今日がいつもと同じなら、の話だが。
俺が周りに悪魔だ外道だなんだと言われようが結局、元を正せば健康的な一般男児だっつー事実は変わらないのだ。単なる、男に過ぎない。
特に意識をすることもなく気付けばふらりと、糞女の背後に回り込んでいた。
「おい」
呑気にマグを片付ける糞女に声を投げる。
「ん?なあに?」
汗を含んでも尚柔らかいままの髪を靡かせて糞女が振り向く。そのまま、肩をガシリ、と。
「え?何この手…」
「キスするぞ」
「は?」
ご丁寧にこの俺が宣言してやったのにも関わらず、とぼけた面で返しやがった。
「だからキス」
「だからの意味がわかりません!大体ここは部室です!」
「じゃあ俺んちくるか」
「な…も、もっと駄目!」
「あぁ?仮にも俺らはコイビトとか言う発するだけで吐きそうな甘ったるい関係じゃあなかったか?することしねぇでどうする」
「…ヒル魔君が恋人って言うと呪いみたいに聞こえる」
「いっぺん死んでこい」
さらりと失礼なことを言ってのけやがった。この女。
「死にません!って言うかなんで急にキス!?」
「糞風紀委員が風紀を乱してるから」
「は!?私そんなことしてな…ってちょっと!キャー!やめてってば!」
「うっせぇなギャーギャー喚くな押し倒すぞテメェ!」
本気で押し倒すぞこの女。自分がどれだけ毒素をばらまいてんのか自覚がないのがまた痛い。
「いやー!キャー!あ、あのね!ヒル魔君!やっぱりムードも大切だと!思うの!よ!」
「テメェに言われたかねぇ!」
「な、ちょっと、キャー!どこ触ってんのよやめてってばー!」

ガリッ

俺の顔から嫌な音が、した。都合の良すぎることに張本人はこっちを見ちゃいねぇ。…ファッキン!

「…」
「…あれ?」
途端に腕の力が緩んだ俺を訝ったのだろう、糞女が恐る恐ると言った体でこっちを見た。
「……」
「どうしたの……!?」
俺が動かなくなった原因をその目で認めて、こぼれ落ちんばかりの勢いで目を見開いて口をパクパク。そのまま制止。テメェはいつから金魚になった?
「あ、それ…」
「…随分躾のなってねぇ猫がいたもんだ」
「ご、ごめん…!」
「ごめんで済むか、この糞猫…!」
「た、確か絆創膏があった筈…っ!?」
慌てて救急箱を取りに行こうときびすを返した糞女の後ろ手を無理矢理掴んで、
「いらねぇ」
「でも…!」
「いるのはテメェの躾の方だなぁ。デスヨネ?糞ネコサン?」
その台詞に二度と見られないだろう攣き吊った笑顔で振り向いた糞女に、俺は感情も隠さず嗤ってやった。


* * *


翌日。

「…あれ?ヒル魔さんどうしたんですかその傷」
「おーウチに躾の悪ぃ猫がいてなぁ。躾してたらやられた」
「へぇ、ヒル魔さん猫飼ってたんですね」
「おーちなみに茶毛で碧目だ」
「わーまもり姉ちゃんみたいだ…ってあれ、姉ちゃん顔真っ赤だよ、大丈夫?」




イラスト:against the wind ヤメピ様